福島県で、25歳の男性2人が、酒を飲み、喧嘩をして、顔を殴って逮捕された。
相手の男性は亡くなってしまったらしい。
2人は名前も実名報道された。
逮捕されたのは元旦の午前4時。
コロナの行動制限が解除された久しぶりの年越し。
きっとお酒を飲んで酔っ払い、気が大きくなって喧嘩をしてしまい、相手を死なせてしまったのだろう。
最初のニュースの時には実名報道がされたが、今は名前が伏せられている。
他にも関係者がいるなので、もしかしたら一方的に殴ったわけではなく、いわゆる喧嘩だったのかもしれない。
だが、どのような理由であれ、正当防衛や緊急避難に該当しない限り、殴って死なせてしまえば、名前を即座に出され、罪に問われてしまう。
「もっと早くに帰っていれば」
と、2人は留置場の中で死ぬ気で後悔しているはずだ。
私も酒を飲んで喧嘩をしてしまったことは、一度や二度ではない。
警察沙汰になったりなりそうになったりしたことも、若い頃を入れたらたくさんある。
自分が逮捕されていなかったり、前科がついたりしていないのは、ラッキーとしか言いようがない。
この事件は他人事には全く思えない。
現在では、警察は。犯罪や違反に対して、昔のように見逃したり甘くしてくれるようなことはなく、形式的に検挙できるものはどんどんする。
スピード違反をしたがうまく言って見逃してもらう、というようなことは20年前はできたが今はほとんど無理だ。
大酒飲みや酒に飲まれてしまう人は、飲酒する行為それ自体が犯罪に繋がる行為とも言える。
「1杯だけなら」、とか、「今日だけは」、などと禁酒をするというルールを破り、少しでも自分を甘やかしてしまうと、どんどん自分の規律が緩み、大量飲酒に繋がり、そしてそれが酒のトラブルに繋がってしまう。
1杯の酒が前科に繋がっているのだ。
いや、前科だけではなく、不健康、浪費、人間関係の破壊など、他の不幸・地獄への一本道を突き進むことになる。
大酒飲みにとって、一杯の酒は禁断の果実なのだ。
飲酒をして何か起こしてしまったり二日酔いになったりした時には素面のありがたさが分かるが、禁酒を続けられているときはそれが普通のことのように思えてしまう。
このような事件を見ても、
「俺は禁酒できているから大丈夫」
「酒なんて飲むからそうなるんだよ」
などと思うことが、禁酒の失敗に繋がる。
酒で問題を起こして新聞に載る人たちと自分は同じ種類の人間で、それが自分であってもおかしくない。
気を抜けば「明日は我が身」なのだ。
謙虚に禁酒を続けていきたい。