STOP DRINKING

禁酒やお酒の問題とその解決法について書きます。

禁酒の誓い

今日から会社がスタートする。

 

今年の唯一の目標、禁酒にとっては、仕事は大きなリスクだ。

 

仕事がうまくいっても仕事がうまくいかなくても飲酒のトリガーになりうるし、溜まっていくストレスもまた同様だ。

 

いくら禁酒のことやお酒の害についてノートに書いたりブログに書いたりしても、生の社会生活でそれを実現できなければただの机上の空論になってしまう。

 

何年、何十年と禁酒を継続できた人がふとしたはずみで飲酒してしまい、それがきっかけで重度のアルコール中毒になってしまったり、中には死んでしまう人もいる。

 

大酒飲みにとって、飲酒欲求という悪魔は一生つきまとうということ、そして気を抜いたら終わりなのだということなのだと思う。

 

今日は初日。新年会だとか、景気付けに一杯行こう、などの誘惑が必ずあるはず。

 

潜在意識に酒は嫌いなのだということをさらに伝えつつ、常に明るく笑顔で、ストレスで意志力を浪費しないように気をつけながら、仕事終わりは無事にジムまでたどり着きたいと思う。

禁酒と意志力

意志力はポイント制だ。

 

朝起きたフレッシュな時は、意志力のポイントが充電された状態であるため、自分に課した課題をこなしたり、誘惑から逃れたりできる可能性が高い。

 

それが、時間が経過していくにつれ、仕事上・生活上での判断やストレスによって、意思力ポイントはどんどん消費され、どんどん弱まっていく。

 

そして、夕方や夜になると意志力のポイントはほぼ残っていないために、正しい判断ができなかったり、怠惰な生活を送ってしまいやすくなる。

 

これは禁酒を志す人にとっては良くないニュースだ。

 

世の中の飲酒の習慣は、日が沈んでからであることがほとんどだからだ。

 

自分が決めたことを守れない状態になってしまっているだけではなく、周りの人たちの意志力も0になっており、彼らの脳内もまた規律がなかったり、場合によっては自暴自棄になってしまっていたりするため、巻き込み事故にあってしまうこともある。

 

だから、意志の力に頼って禁酒をしようとする場合、結構な確率で失敗してしまう。

 

意志という顕在意識ではなく、潜在意識を使う方法が効果的だ。

 

潜在意識は寝ていても動いているくらいであり、意志力が0になっても、酒は飲まないぞと潜在意識が無意識で判断してくれるようになれば、禁酒を継続できる確率は高まる。

 

私の経験上でも、酒を飲まないぞと意志の力に頼り、「今日は禁酒何日目!」みたいに毎日意志力で乗り切っていた時は、1年くらいは禁酒を継続できても、結局失敗してしまっていた。

 

人生には良いことも悪いこともたくさん起きるため、そのどちらも意志力を大きく奪うことになり、その波が大きかったり、イベントが続いたりした時には意志力では食い止めることができなくなる。

 

だから、禁酒を続けるには、潜在意識に働きかけることが重要だと思う。

 

潜在意識でできれば、より高確率で、かつより楽に禁酒を継続できる。

 

私の場合には、常に「酒が大嫌い」だと思い込むように、酒が嫌いな理由を言ったりノートに書いたりして、潜在意識に伝えようとしている。

 

これはとても効果的だ。

 

意志力が弱まっている時でも、酒を飲もうという選択肢が思いつくことがほとんどなくなった。

 

禁酒は潜在意識を活用するための練習にもうってつけだ。

 

お酒のトラブル

福島県で、25歳の男性2人が、酒を飲み、喧嘩をして、顔を殴って逮捕された。

相手の男性は亡くなってしまったらしい。

 

2人は名前も実名報道された。

逮捕されたのは元旦の午前4時。

 

コロナの行動制限が解除された久しぶりの年越し。

きっとお酒を飲んで酔っ払い、気が大きくなって喧嘩をしてしまい、相手を死なせてしまったのだろう。

 

最初のニュースの時には実名報道がされたが、今は名前が伏せられている。

他にも関係者がいるなので、もしかしたら一方的に殴ったわけではなく、いわゆる喧嘩だったのかもしれない。

 

だが、どのような理由であれ、正当防衛や緊急避難に該当しない限り、殴って死なせてしまえば、名前を即座に出され、罪に問われてしまう。

 

「もっと早くに帰っていれば」

と、2人は留置場の中で死ぬ気で後悔しているはずだ。

 

私も酒を飲んで喧嘩をしてしまったことは、一度や二度ではない。

 

警察沙汰になったりなりそうになったりしたことも、若い頃を入れたらたくさんある。

 

自分が逮捕されていなかったり、前科がついたりしていないのは、ラッキーとしか言いようがない。

 

この事件は他人事には全く思えない。

 

現在では、警察は。犯罪や違反に対して、昔のように見逃したり甘くしてくれるようなことはなく、形式的に検挙できるものはどんどんする。

 

スピード違反をしたがうまく言って見逃してもらう、というようなことは20年前はできたが今はほとんど無理だ。

 

大酒飲みや酒に飲まれてしまう人は、飲酒する行為それ自体が犯罪に繋がる行為とも言える。

 

「1杯だけなら」、とか、「今日だけは」、などと禁酒をするというルールを破り、少しでも自分を甘やかしてしまうと、どんどん自分の規律が緩み、大量飲酒に繋がり、そしてそれが酒のトラブルに繋がってしまう。

 

1杯の酒が前科に繋がっているのだ。

 

いや、前科だけではなく、不健康、浪費、人間関係の破壊など、他の不幸・地獄への一本道を突き進むことになる。

 

大酒飲みにとって、一杯の酒は禁断の果実なのだ。

 

飲酒をして何か起こしてしまったり二日酔いになったりした時には素面のありがたさが分かるが、禁酒を続けられているときはそれが普通のことのように思えてしまう。

 

このような事件を見ても、

 

「俺は禁酒できているから大丈夫」

「酒なんて飲むからそうなるんだよ」

 

などと思うことが、禁酒の失敗に繋がる。

 

酒で問題を起こして新聞に載る人たちと自分は同じ種類の人間で、それが自分であってもおかしくない。

 

気を抜けば「明日は我が身」なのだ。

 

謙虚に禁酒を続けていきたい。

禁酒中の大晦日

おせち料理は毎年馴染みのイタリアンレストランで頼むのだが、今年も美味しくいただいた。

 

美味しかったのだが、

 

生ハムとサラミ

牡蠣のスモーク

マダコのコンフィ

甘鯛のパイ包み焼き

 

のようなおつまみ系の料理は正直あまりいらないな、と思ってしまった。

 

ご飯のおかずにならないからだ。

 

ローストビーフ

うに

いくら

 

をおかずに、ご飯を大盛り2杯食べた。

 

飲み物は、147円で買ってきた三ツ矢サイダーの2リットルペットボトルを半分。

 

最高に美味しかった。

 

そして、「紅白歌合戦」と「ゆく年くる年」をシラフで全て意識がある中で見ることができた。

 

元旦の朝はもちろん二日酔いではなく、大晦日も酒に負けなかったという達成感と元旦の清々しい気持ちでいっぱいだ。

 

今年の目標は禁酒ただ一つ。

 

1日1日気を抜かずに達成していきたい。

 

 

あけましておめでとうございます。

 

 

大酒飲みの新年の目標

「あるものはないものよりも重視される」

 

このことを特徴肯定性効果というらしい。

 

戦争中には平和のありがたみがわかるが、平和な時にはそれがわからない。

 

風邪を引いたり病気をすると健康のありがたみがわかるが、健康な時にはそれがわからない。

 

大酒飲みも同じだ。

 

酒を飲んだ次の日には、酒を飲んでしまった後悔や、酒を飲まないことのありがたみを死ぬほどわかるが、その次の日にはすぐに忘れていて、また同じことを繰り返す。

 

大酒飲みにとって、酒は、お金も、時間も、健康も、人間関係をも奪う悪魔のような存在であるにも関わらずだ。

 

今日は大晦日。来年の目標を決める人も多いだろう。

 

減量をするとか、いくら稼ぐとか、習い事を始めるとか、海外旅行に行くとか新しくやることを掲げる人が多いだろう。

 

私も常にそうだった。

 

でも、私は、来年の目標は

「酒を飲まない」

というただ1つを目標にしようと思う。

 

全く派手さもなく、つまらない目標かもしれないが、私にとってはこれ以上大事なものはない。

 

ちなみに、過去70年において、医学のどんな革新的な進歩よりも、喫煙の害を世界に浸透させたことほど、人々の健康にとって貢献したものはないらしい。

 

禁煙を叫んだ人がノーベル賞を取れたわけではないのだが。

 

何かを付け加えるよりも、自分の役に立たないクズな習慣をやめる方が幸せになる。

 

たとえそこに人々の称賛や派手さがなかったとしても。

 

とても励みになる。

酒飲みとエネルギー

酒飲みにはエネルギッシュな人が多い。

 

私の周りの大酒飲みは社長やトップセールスマン、出世街道を歩んでいるエリートサラリーマンなどで、仕事ができ、エネルギッシュに生きている人たちがほとんどだ。

 

私は仕事ができるわけではないが、エネルギーがあるとか元気があるとか言われることが多いし、自分でもアグレッシブな性格な方だとは思う。

 

酒を飲み始めた頃は、別にお酒を美味しいとも思わなかったが、友達に酒を飲めることを自慢したり、背伸びをして大人なふりをしたかったために、中学生の頃からウィスキーの水割りなどを学校帰りに自販機で買って飲んでいたりしていた。

 

人よりも目立ちたいとか勝ちたいとかいう気持ちを、飲酒を通じて表現していたように思う。

 

大学生になり、社会人になり、人よりもたくさん飲めて、「酒が強い」と言われたが、それも根底には人に勝ちたい!という思いの結果だった気がする。

 

そして、結局のところ、酒に負け、大酒飲みになってしまった。

 

お酒にいったいどのくらいのお金と時間を費やしてきたのか。

どのくらいの人間関係を失ってきたのか。

そして他人にも自分にもどれだけ迷惑をかけてきたのか。

自分のパワーを費やす対象を間違えてしまっていた。

 

自分のエネルギーをどこに振り分けるのかで人生が決まる。

お酒だけに限らず、人、やるべきこと、考えることなどをよくよくチェックしてから取り組まなければ、自分のような性格の人間は結局マイナスな方に突っ走ってしまう。

 

エネルギーがある、アグレッシブな性格だ、というだけでは自分の人生は豊かにならない。

何に全力を注ぐのかで人生が決まる。

いくら仕事ができてお金を稼いでいても、結局酒に全て使ってしまったり借金をしたりしていれば、それは無職の人と何も変わらない。

実際、仕事ができる人たちの中で、貯金がなかったり稼いだものを全て使ってしまう人たちもたくさんいる。

 

禁酒をすると、自分のことが少しずつ見えてくる。

禁酒と成長

今日も母校の図書館に行ってきた。

2日連続だ。

 

禁酒をしなければ、大学の図書館にこの年で行くこともなかったし、そもそも行こうという発想自体もあり得なかった。

4時間近く本を読み、今日で年末最後のとのことだったので、本を3冊借りてきた。

 

「試練は、たとえ自分自身で招いてしまったものであっても、それは自分を成長させるためのものである」

 

という一節が読んでいた本の中にあった。

また、

 

「本能は抑制するのではなく、自分の向上欲・改造欲で統御・善導していかなければならない」

 

「自分をどんどん改造していけ」

 

という文章も気になり、メモを取った。

 

大酒飲みであるということは、禁酒というチャレンジをすることによって自分を成長させてくれるチャンスを与えてくれたと解釈してもいいのではないかとも思えた。

 

そして禁酒を継続するためには、酒を飲んではダメなんだと自分を律するだけではなく、より良い自分に絶対になりたいという欲求を持つことが重要なのだと学んだ。

 

禁酒をすることによってジムにハマるとは思わなかったが、まさか大学の図書館にまで通い始めるとは夢にも思わなかった。

 

禁酒生活は驚きの連続だが、そう思っているのは私だけではないはずだ。